沙羅です。
そろそろ【聖地巡礼&地場エネルギーの浄化】は無意味だということに気付きましょう。
先日、某県にある某パワースポットを訪れました。
龍神が宿る龍穴です。
山の中に川が流れ、その川岸にあります。
私は山の中の道路に車をとめて、龍穴のある方向へ、川に沿ってある階段の道を降りて行きました。
すると川の向こう岸の小さな龍穴があり、川のこちら側に一畳分くらいの参拝のスペースが設けられていました。
凄く狭い場所です。
その場所には数人の人が来ていました。
私がそこに到着すると、二人連れが参拝を終えたところで、次の二人連れが順番を待っていました。
すると、待っていた二人連れが「私達は祝詞をあげ、龍穴を浄化するために来ました。なので、(参拝を)お先にどうぞ。」と言って順番を譲って来ました。
私は先に参拝することにしましたが、次に待ってられると思うと、落ち着いて、ゆったりと景色を楽しむことができませんでした。
さらには、この2人は、最初に参拝していた2人連れに「(狭いのに)そんなところへ立っていたら邪魔です。そちら側の写真が撮れません。」と言われていました。
まさに、不調和ですねー。
その場の雰囲気が淀みます。
こんな方が祝詞をあげて地場エネルギーを浄化できるのでしょうか?
私には、ただの欲心か自己満足にしか見えませんでした。
もう少し常識というものを考えて貰いたいと思った次第です。
現実次元の調和こそ、本物の浄化だと思います。
除霊はできても、聖地浄化はできない!!
スピリチュアルをやっている方の中に「パワースポット巡りをして、聖地を浄化しています」という方がいます。
私は、そういう話を聞くと「またかー」と思います。
例えば、マンションで殺人事件があり、そこに取り憑いた霊を浄化するようなことは、人間でも霊的な能力があればできると思います。
しかし、大自然を個人の能力だけでは浄化は出来ません。
自然の力は雄大です。
地震、津波、高潮、竜巻、ゲリラ豪雨、火山の噴火など、何か起きれば人間なんてひとたまりもありません。
聖地を浄化するということは、一個人が大自然に起こることを変えると言っているのと同じです。
到底、不可能なことです。
それよりも、その場所を綺麗にしようという気持ちを持って、ゴミを捨てなかったり、ゴミが落ちていたら拾ったり、時にはバケツと雑巾とホウキを持って掃除したりすることが本当の浄化だと思います。
そういう綺麗な心の持ち主が増えれば、地球は綺麗になって行くのだと思います。
スピリチュアル界もまともになって行く気がします。
企業も自然と愛してください。大排気量の車はいらない
また、自然を愛する気持ちを、もっと持ってほしいとも思います。
特に企業人の方へ申し上げたいですね。
利益第一主義の考えが自然を破壊する行為へ繋がっています。
企業なので利益を求めることは重要だと思います。
だけど、これからの時代は企業と自然との共存も大切なポイントです。
1つ例を出せば、車の排気ガスの問題です。排気ガスが空気を汚しています。それが、異常気象にも繋がっています。誰しもが知るところです。
ハイブリッド車や電気自動車の開発が進みエコが強まっていますが、もっともっと自然との共生を意識して欲しいですね。
あくまでも個人的な勝手な意見ですが、大排気量の高級車なんて、本当に必要な人のみが使えば良いと思います。
一般市民であれば、快適な移動ができるエコカーで十分です。
豪華や高級の欲心をあおる製品を売ることより、自然と調和した上で、人が満足するものを売ることに力を入れて欲しいと思います。
そういえば、龍穴で「私たちが浄化をします」と行った二人連れは、排気量の大きな高級車で聖地を訪れていました。
誰がどの車を乗ろうと自由ですが、私にはその人の発する波動が伝わって来て、やっていることと思っていることのチグハグさが分かってしまいます。
自然を愛する心が伝わって来ませんでした。
不調和を起きしている人が、聖地巡礼と地場エネルギーの浄化は無意味だということに気付くことを祈っています。
私も聖地を巡り、祝詞をあげることもあります。しかし、それは自然の流れの中でやっていることで「私が…」という気持ちはありません。
神を感じ、自分の心を浄化する意味での聖地巡りをしています。
そして、聖地の旅を気付きを得て、自分の心の中を浄化しています。
意識の高まりには段階があります。
その過程で、「自分が聖地を浄化する」という思いを描くこともあります。
しかし、その思いが不調和を招き、地球を汚してしまっています。
「地球が良かれ」という思いは分かりますが、そろそろ【聖地巡礼&地場エネルギーの浄化】は無意味だということに気付きましょう。
全ての人の霊的覚醒を祈っております(^_-)-☆